とても寒い朝だった。もくもくとした息が真っ白で、太陽が当たってよく輝いている。
「ハカセがね、本当は私は人間じゃないって言うの」
B子が急にそう言った。いつもより小さくて不安そうで、絞り出したような声だ。歩きながら誤魔化すように、私に聞こえないふりをする余地があるように。
今日のB子は少し変だ。耳がぺたりとくっついているし、尻尾だってくるりと巻き込んでしまっている。それに、普段のB子が学校に行くまでの間に話してくれるのは、ご飯の話とか、部活の話とか、あとは宿題の話とか。彼女はとりとめのない日常の話を楽しそうに私に聞かせるのが好きなのだ。
「それが、どうかしたの?」
「どうかしたのって……私、人間じゃないんだよ?」
私は彼女が人間ではないことを知ってたし、B子だってそんなことはとっくの昔に知っていると思っていた。彼女と私には耳と尻尾の有無という大きな差異があったし、人間ではありえない症状もたくさん経験しただろう。それなのに、どうしてハカセは今まで教えなかったのかな。どうして今になってわざわざ教えたのかな。
でも本当は、耳や尻尾があったって人間とは何も変わらないのだ。誰だって自分が普通の人間だと思っているし、私に八重歯が生えているせいで人間扱いされなくなったとしたら不安で夜も眠れなくなる。
「分かってるよ。だから、それがどうかしたの?」
私より体温の高い手を包み込むと、彼女はいつもより強い力で握り返してくる。まるで発情期の時みたいに、私の手なんか気にしていないみたいに。
「だって、A子ちゃんは人間だよね? 私のことを本当は怖い怪物だって思ってたら、すごく嫌なの」
「私、あなたが人間じゃないって最初から知ってるよ?」
B子はまず唖然として、それからびっくりした表情になって、最後に顔を赤らめた。
「知ってるなら、もっと早く言ってほしかったよ!」
さっきまでの思い詰めた表情とは一転、いつもの元気なB子だ。肩の荷が下りたみたいに、耳も尻尾も機嫌がよさそうだ。
「今まで黙っててごめんね、B子。一緒に行ってくれる?」
「……うん」
手を差し出されたB子は、どこか嬉しそうだった。私が手を引いて登校するのって、久しぶりかも。
B子と最初に交わした会話を、今でも覚えている。
いつもより空が高い朝、無言でB子の手を引いた駆け足の桜並木。そんな長い一日、入学式が終わった後の浮ついた教室の中で彼女はこう言ったのだ。
「朝起きると体中に粘膜が張ってるから、シャワー浴びないとダメだよ、ね、そうだよね……?」
一瞬の沈黙の後、取り繕うような笑いが起きる。人外なりのジョークだと思って、その場ではみんな笑っていた。面白い子だねって。でも、それからみんなはあまりB子と話さなくなった。やっぱりノリが合わないよと言っていたけど、本当はみんな彼女を気持ち悪がっていたのを私は知っている。「粘膜とか、ヤバいよねー」って。
少なくとも学校での彼女は、耳や尻尾以外にみんなと大きく違っている様子はないのに。
学校ではB子は私としか話さない。女子からはすっかりグループ外の扱いだし、男子と話している様子も見たことがない。一方で私は、刷り込みでも受けたみたいに懐くB子と過ごすうちに、彼女の愛らしい表情や元気で明るい性格にどんどん惹かれていった。B子と一緒の布団で眠ったこともあるし、彼女の人間じゃないところもいっぱい見てきた。
B子の手は暖かくて、さらさらしていて、ずっと触っていたくなる。
人間かどうかってそんなに大事なことなのかな。同じ人間同士だって、友達の無理な同調圧力とか、意味のないマウントの取り合いとか、そんなことばっかり。外側だけ人間でできていたって、一人ひとりがみんな違う醜い怪物なのだ。綺麗な肌からぬるぬるとした粘液が出て恥ずかしがるB子は、とっても可愛いのに。
でも、みんなはずっとそれでいいの。B子のことを分かってあげられるのは私だけだから。
こんなに素直だと、誰かに騙されやしないかと少し心配になる。
今は私にこんなに懐いてくれてるけど、本能ではもっと逞しいオスを求めているのかもしれない。私より先に彼女の手を引いた人がいるのなら。そんな想像をすると、ずっとこの手を絡ませたままで彼女を見つめ続けてしまうのだ。
B子にキスをして、とろとろになったところを弄ると、彼女はすっかり自分が人間であることを忘れたような表情をして私に甘く噛み付いてくる。ベッドに押し倒して身体を押さえつけながらキスをすると、獣のような声で甘えるのだ。耳元で私を求める彼女の声が脳を痺れさせて、視界が甘いピンク色に染まっていく。
べとべとになった彼女の身体は、擦り合わせた肌をよく滑らせる。
「B子……首、もっとするからね?」
「もっと、強く……して」
こうやって誰かに縛られたがるのも、メスの動物的な本能なんだろうか。そうだとしたら、彼女はどうしてこんな風に造られたのかな。けものみたいな本能を載せたままで、人間まがいの何かに変えてしまうなんて。
性欲も発情期も、B子には必要のないものなのに。
「ん、好きだよ……B子」
私みたいな女じゃなくて、粗暴なオスに組み伏せられたら彼女はどんな表情をするだろう。私に向けている蕩けた表情を、誰かには見られたくはないの。怒りと苦痛に満ちた表情で、私の助けを求めて叫んでくれたらいいのに。
「A子ちゃん。今日はちょっと、遅くなるから」
彼女が隣にいない時は、たまに理由もなく怖くなる。私にメスを蹂躙するための醜悪な性器が付いていればよかったのにと、いつも思っている。